縄文時代のウルシと漆工文化

    〜漆ノ話 二〜

    日本の永く続く漆の文化
    その起源は縄文時代に見出すことができます。

    現在、日本で分かっているウルシの事例で
    最も古いものは福井県
    (鳥浜貝塚)で出土した
    20cmの漆の木の小枝とされています。

    これは約1万6千年前に始まったとされる
    縄文時代の区分の中でも
    初頭の方に当たる約
    12千年前
    (縄文時代草創期)のものと解析され

    この頃には既に漆の木が
    日本に存在していたことが証明されています。

    このウルシがはたして
    大陸から渡来したものなのか
    もともと自生していたものなのか
    どのように利用されていたのかは
    議論の分かれる所となりますが

    ウルシを塗料や接着剤などとして活用する
    技術はそれより時代の下った
    縄文早期以降と考えられています。

    更に漆器や漆工芸が盛んになるのは
    もう少し後の
    同遺跡から発掘された

    赤色漆塗り櫛(約5500年前)
    島根県夫手遺跡 漆の容器(約6000年前)
    新潟県大武遺跡 漆の装飾品(約6600年前)など

    縄文前期頃の遺構から集中しはじめてくる
    事から
    その様子を伺うことができ
    この時代になるとウルシの樹液を
    活用するだけではなく
    象嵌(ぞうがん)の技法を用いたり
    ベンガラや辰砂などの赤い顔料を添加して
    黒漆に朱漆を重ねて塗る技術が
    確立されていた事が判明しています。

     

    アフリカ大陸を出て、東へ東へと
    日が昇る方向へと目指した
    縄文人の祖先達にとって
    繰り返し再生する太陽
    食と肉体 生と死の証である血

     


    朱という色は生命の象徴を
    表す魂の色であった事は
    想像するのに難しくありません。

     

    また青森県の山内丸山遺跡からは
    籃胎漆器 や漆を濾す濾布や容器が
    多く出土している事や
    東京都の下宅部遺跡では漆の掻き取痕が残る
    漆樹が
    70杭とし使用された事例が
    発見されている事から

    この頃には大量の漆を使用した
    高度な漆工技術が確立され
    漆の利用だけでは無く漆林を管理する為に
    植栽や間伐まで行っていた可能性が
    高いと推測されています。

    ウルシ精製のためには、40度前後に加熱し
    保温しながらかき回す必要がありますが
    この時代に世界に先駆けて土器文化
    が発達していた事も
    漆工の発展に大きく
    影響を与えてると考えられるでしょう。

    縄文人は石器を使って漆を掻いていた


    縄文の人々は漆器の素地に
    木、竹、蔓性植物、革、土器を用い
    容器や鉢などの祭器や生活用品を作り
    他にも弓や矢などの武器
    または櫛、腕輪、首飾り、耳飾りなど
    装飾品から多様な漆工芸が生活の中に
    共存していたこと

    後の弥生時代に入ると北陸や東関東
    を中心とする
    漆の痕跡が激減してしまうこと

    約9000年前のものと予測される
    北海道垣ノ島B遺跡の土抗墓から発見された
    ベンガラの
    赤漆を塗った漆工芸は
    現在
    世界で一番古い漆器である事から

    を多様に用いた文化は
    縄文時代の
    一つの大きな特色を
    表すものと言えるでしょう。

    日本が近代化を経て漆の文化が衰退に向かい

    生活が大きく変容したのが
    100年前の事と考えると
    その歴史の厚みは計り知れません。

    参考文献


    なぜ、日本はジャパンと呼ばれたか
    縄文時代の歴史
    漆百科
    下宅部遺跡の漆文化 重要文化財指定資料の中核
    縄文時代前期における漆工芸技術の学際的研究
    石器によるウルシ樹液採取実験

     

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